おはなしかご
 

エッセイ集

エッセイ集
「犬年協奏曲」

 (序曲)

「犬は子をどのように育てるか」という本がある。
十年以上前に出会った本だが、犬に全く縁のない暮らしでなぜこの一冊を手にしたのかは記憶がうすれていて覚えていない。だが、強烈な一冊だったことは覚えている。
改めて読み返してみて、著者である森永良子さんのみごとな仕事に敬服し、この本に出会わせてくれた人物に心からの感謝を伝えたい。感動とは“感じて動く”と言うことなのだが、この本から何かを感じとり、それを自分一人にとどめず他者に伝えるという行為をとられたその方の在り様は、まさに“感動”なのであろう。改めて本というものは感動とともに人から人へと伝えられてゆくものであることを認識させられた。

さて今回、犬年を迎えることを機に、その方からバトンを受け取り走ってみようと思う。この本は終始、犬(実験室の犬)のことが書かれている。
だが点描画のようにじーっとある一点を見つめてゆくと、外側の言語の奥に深いものが見えてくる。
その深い思いを読みとった時、はじめて実験の犠牲になった犬たちが救われるのであろう。人間の為に多くの動物達が、その身を捧げ続けてくれている。
誠にもって言葉もないが、そのおかげで人間界の医学が進歩し、どれ程の人が命を助けられたか計り知れない。この本を抱えて走る前に実験室で生涯を終えた動物たちに深く頭を下げたい。表立って誰からも評価もされないが、彼等の沈黙のような静かな、そして大きな仕事にただただ敬服する。


(一楽章) 犬との出会い

ここに登場する犬達は、外科の領域の実験の為に飼われていたが、臓器移植などの対象でもあった。そんな状況下の犬達をふとしたきっかけで著者は、心理的な研究の対象としてゆくわけだが、体にメスはいれなくても心理的な実験であるが由、心にメスが入る思いで、犬と全く無縁な私ですら胸がいっぱいになり読み進めるのが少々辛い箇所もあった。
犬を愛し、共に暮らしている人はなお一層のことであろうと思うが、とにもかくにも最後まで読んでほしい。一頭の犬の人生の終焉までを抱く思いで最後まで読み、何かをつかんでほしい、それが人柱ならぬ、犬柱となってくれた犬達への心からの鎮魂歌となるのである。

犬達は、それぞれ個別のゲージに入れられ、実験目的の他は全く外に出ると言うことはなかった。だが森永さんは、その犬達をまず実験とは全く関係のない日に、戸外に出し日の光の下で思いっきり走らせる……ということから犬達との関わりをはじめた。
やがてそれぞれの犬が仕切られていたゲージを自由に出入りできるようにし、孤(個)から類(関わり)への生活の場をつくっていった。
犬達が初めて外に出た時のことや、隣接の運動場を思いっきり走りまわる様子は、私自身の心がまるごと日の光を浴びたようで、犬達と一緒に興奮して運動場を走り回った感触が読み終えた後まで、はっきりと残っていたのを覚えている。それ程犬達の心からは、喜びがあふれていたのであろう。ゲージが解放された時は、まさに自分の心の奥の扉が外から乱暴にではなく内側からそーっとやさしく開けられていくようで、ドキドキとしながらそこから始まる何かに胸高鳴らせる良質の幸福感を感じていた。
やがて犬達は信じられない程の、のびやかさを放ちだし、食欲や体力もぐんぐん増していった。それは、犬の体調が良くなっていくというより、犬が本来の生物体としての自然な状態に戻ってゆくわけであるから、体の実験の領域でもその成果は言うまでもない。


(ニ楽章) 閉じこもる犬

だが、そんな中で一頭だけゲージの奥にうずくまり動こうとしない犬がいた。
その犬は実験の為に一度だけゲージの外に出したことがあるのだが、あまりに抵抗が激しい為に、その後は幸か不幸か研究の対象から外されていた。
今までかなり手荒なこともしてきたそうだがこの犬の抵抗はくずれなかった。
やがてこの犬は、外科の医師達から「ガン」と名付けられた。頑固であるから「ガン」なのか、又は、嫌な存在、困った存在、迷惑な存在という意味なのかはわからなかったが、たぶんそれらのすべてを含んでの「ガン」は解放ゲージや運動場で、のびやかに遊ぶ他の犬達を見ても一切の反応を示さずただゲージのすみでじーっとうずくまっているだけだった。名であったのだろう。
そのうち「ガン」は犬の自閉症であろうと言うことになった。
そんなある日、外科医の一人が著者の森永さんに『もしも「ガン」の自閉症を治すことができたら、心理医の価値を見直してやる』と言ったそうだ。
その頃は、まだまだ臨床心理医の立場は認められておらず、外側のはっきりとした治療に、毎日身を削るようにしている外科医達にとっては、心理医などというものは時間ばかりかけて一体何をしているのだと言う思いで見ていたのであろう。
登校拒否をはじめ、少しずつ社会現象となって現れだしていた様々な心因的な症状に対して、その根源に母子関係があると指摘し論文を発表する研究者は数多くいたが、実際に臨床で治療しようとする心理医は、日本ではまだまだいなかった頃である。その外科医の言葉は、まさにその頃の世間からの心理学に対しての疑念でもあり、挑戦状でもあると思ったそうだ。


(三楽章) 犬に寄せる思い

こうして思いもかけず心理医の立場をかけた治療に挑んでゆくことになったのだが、その大義とは全く別に、幼い頃から犬と共に暮らしてきた彼女の内には素朴に、閉じこもっている孤独な犬に寄せる思いが生まれていたのである。
「ガン」は本来ならもっと自由に生きられたはずの人生を、人間の手により無理やり実験室に連れてこられ、そして狭いゲージの中に入れられ、何をされるかわからない不安の中を生きねばならなくなったことを全身で怒り、これ以上は絶対に人間の言うなりにはならないぞ、という犬としての最後の誇り(プライド)のギリギリの崖に立っていたのであろう。彼女に対しても一切何の反応も示さなかった。
そんな「ガン」に対して彼女は一体何をしていったのだろうか?
彼女は毎日毎日「ガン」の名を呼び続けたのだ。ただひたすら「名」を呼び続けたのだ。
「ガン」と言う名は、名付けられた理由のように又、最悪の病とされている『癌』をはじめ「嫌なもの」「迷惑なもの」「不快なもの」という意味を持つ言語である。
そんな言葉を毎日毎日あびせられたら一体どうなるかは言うまでもない。
だが「ガン」は彼女に「呼びかけるな」と吠えたり、牙をむいて飛びかかろうとはしなかった。うなり声をあげて威嚇もしなかった。
なぜか、ただじーっとその響きを聞き続けていたのである。
やがて不思議なことに、「ガン」の体の硬直がしだいにとけていったのだ。
それは一体何を意味するのだろうか?
「ガン」という言語から連想される感情を認知するのはそもそも人間界のことで、犬は、自分の名に込められた思いや意味など全く知らないからである。ということも一理だが、それよりもっと大きなことは、「ガン」という言葉を発している森永さんの心の中に、一頭の犬の、心の扉を開けさせる深い優しさが内包されていたからである。
森永さんの呼ぶ響きからは、揶揄された思いも、軽蔑された思いも一切なくガンにとっては
ただ、自分の存在に関わってくれている深い思いのみが届いたのであろう。

音声言語というものは、どんな言葉であってもその表意(外側の意味するもの)が届くのではなく、その言語を発している人の内側の真意が届くのだということである。
それは、ストーリーテラーという音声言語の世界を生きる者にとっては、実に重要なことである。どんなに「美しい!! 」とか「暖かい!! 」などと意味する言語を発してもその人の内側に、本気にその「思い」が内在していなければ何度「美しい」を繰り返しても「美しさ」は届かないのである。
一字一句違わない文献を二者が語った場合に、一方はただの報告文のようなものとなってしまうが、もう一方は、その内実が深く聞き手の内側に届いていくという事が生じるのも確かな事実なのであろう。


(四楽章)心の変化

やがて「ガン」は、実にやわらかな表情をうかべるようになり、森永さんの手から食べ物を食べるようになった。そしてある日、しっぽをふったのである。
その時、『皆は「ガン」にしっぽがあったことをはじめて知った』と書かれているのだから、いかに森永さんに会うまで人間に対する一切の関わりを拒否していたか改めてわかる。
そのうち、運動場で走りまわる仲間をまぶしそうに見つめるようになった。
だが生まれてまもなくここに連れてこられ、四年という歳月、ほとんど立つことも歩くことも、むろん走ることもなかったのである。当然足は退化し、萎えているはずである。
どんなに“走りたい”と思っても走ることはできないであろう、と森永さんは切ない思いで胸をいっぱいにしながら「ガン」を見つめていた。
ところがある日、「ガン」は突然ゲージの戸を開け、まっしぐらに運動場に向かって走っていったのである。それは一瞬の出来事であった。
気がつくと、「ガン」は太陽の光を浴び、群れの中を夢中で走っていたのである。
狂ったように喜びをあふれさせ、走りまわる「ガン」の姿がそのページに載せられていた。
ああ! なんというすばらしいことか!
その「ガン」の姿に私は、体がふるえたのを覚えている。
あれ程かたくなに自らの内側に閉じこもっていたガンの心を、さんさんとふりそそぐ太陽の光の下に導き、しかも個の解放にとどまらず、仲間という類の中で、生きてゆく力まで昇華させた森永さんのした仕事とは!!
それは臨床心理医としてのみごとな仕事であったと言えるであろう。
いやそうではない、それは心理医の仕事ではなく、人間【森永良子】のした仕事であるのではないだろうか!
いいやさらに言わせてもらうと、人間【森永良子】を土台とし、そこに臨床心理医としての歳月を確実に積み重ねたプロフェッショナルな仕事であったと言えるのだろう。
自分の飼い犬(人間で言えばわが子)を解き放つことは、その犬を愛する者ならできうることかも知れぬ。だが個を超え、類という社会を生きる力まで昇華させ得たその仕事こそ、まさに誇り貴きプロの仕事なのである。
そのプロ性に対して、社会は代価を支払うわけなのだが、真の仕事と言えるのは、代価を貰った側が「ありがとうございました」と言うのではなく、仕事を依頼した側が
「すばらしい仕事をして下さってありがとうございました」と心からの喜びとともに
自ずとその頭が下がった時、はじめてプロのした仕事と言えるのであろう。


(五楽章)仕事とは?

森永さんのした仕事から改めて「仕事」とは一体何なのだろうか? と考えてみた。
いつだったか、こんな会話が耳に入ってきた。
「息子さん、就職決まったんかい?」
「おかげさまで、どうやら食い扶持を稼げるようになったよ」
「とうとう、一人前になったな!」
食い扶持・・・懐かしい言葉である。
食い扶持とは、一人の人間の生存に必要な食料の事である。そして食い扶持を稼ぐとは、狩猟時代では食する物そのものを捕獲してくることであったが、近代では社会に何がしかの価値を提供し、その価値分の金銭(食物と交換する代価)を得ることが食い扶持を稼ぐということなのである。
つまり社会に提供できる価値を持てることが、一人前になる……ということなのであろう。
だが自分の生存を保障できる食料を得られれば、それで人間として一人前であると言えるのだろうか? 食する物を得、雨、風当たらぬ場で体を横たえ、夜が明ければ又、食べ物を探しにゆく……確かに生物体としての生存は維持できるが、それでは動物となんらかわりはしない。人間が人間たる証は、内側の魂(心)を内在させているということである。
その内側、心の食する物を得ることができて、はじめて人間として一人前になったと言えるのではないだろうか!

「心ない行為」が毎日のように発生している。
文字通り、心、内側がないのである。外側の肉体は、食することで何年か生存を可能にしているが、内側は全く何も食してこなかったのだろう。
いや内側がないだけなら動物とほぼ同じであるが、動物は一日の食べ物が手に入れば決してそれ以上の物は捕獲しない。
今、巷の出来事を発生させている者達のほとんどが、かなりの高収入を得ているにもかかわらず、それでもまだ必死に金銭をかき集めているのである。その有り様は動物以下である。人を想うとか、人の事を考えるとか、他者にとってはどうであろうとか……などの“個”ではなく“類”のことを思いやる内側は全くなく、ただひたすら自らの生存の永劫の維持の為にかけずりまわっているのである。
その結果、皮肉にもそれ程までして守りたかった自らの人生を、丸ごと破壊させてしまっているのだから全く愚かとしか言いようがない。
姿形は人間と似てはいるが、近代の生んだ新種なのであろう。しかもその新種のほとんどが、健康な肉体に恵まれ、近代の最高学府の学びを修めているのだから、なおさらに不思議な思いである。
学びたくても貧しさ由、学び舎に通うことが出来なかった人や、病や体の不自由な状況で、どんなにか“仕事”を持ちたいと心の底から望んでも、社会の開かない扉の前で涙せねばならぬ人達のことを思うと、どんなことでも選べた彼等が“仕事”というものを一体何だと思っていたのだろうかとたまらない悲しい“怒り”が体の奥からこみあげてくる。
彼等が社会に投げたものは“価値”ではなく“欲”である。
その“欲”の種が、社会の大地に根を張り芽を出すことが決してないように、私達は今、一体何をすればよいのだろうか? と本気で考えねばならない時がきたようだ。
だが、その答えをまさにその出来事そのものが叫んでいることも、深層心理の世界で言う共時性なるものなのであろう。
“本気で人間の住む家(社会)の外側ではなく内側をしっかり建てなおさねばならない時がきた”のだと。


(六楽章)本気、そして文化

何年か前、国連が本気で「なぜ戦争というものが発生するのだろうか?」を考えその根源を探るのにアインシュタインに考察を依頼した。
アインシュタインは、そのことを本気で考え、それは人の心の奥底に何らかの根源があるのではないだろうかとフロイドに手紙を出した。フロイドは手紙を受け取り本気で考え、やがて、二人の間に何通かの手紙のやりとりが始まった。結論はこうだ。
「人間が、戦争というものを起こさないようにしてゆくためには、その国の文化の在り様が実に大きく関わっている」

文化……あまりに大きく茫漠とした言葉であるが、この言葉は
「人を人としての幸福へ向かわせてゆく大きな力である」という意味を内包する。
人類の最大の文化遺産は「言語」であると言われている。
さて我が国、日本の文化の在り様や行く末はどうなのであろうか?

先日、朝日新聞に天野祐吉氏が次の様なことを書いていた。
『あらゆる分野で我が国は効率という美名のもとに、様々な手抜き仕事を積み重ね経済大国という幻の塔を創り上げてきた。昔、バベルの塔を築いて傲りたかぶった人間に神は「言葉を通じなくさせる」という天罰を下し、まさに今、我が国にもこの天罰が下り、言葉というものが関係から切れてしまっている。
言葉が心に届かなくなった時、必ず刃物や暴力が生まれる。その上、知らない人とは口を聞くなとか、催涙スプレーや防犯ベルを身につけさせ、やがては護身用の拳銃となってゆくのだろう。それも当面の策としては必要であるのかもしれないが、それと同時に、通じなくなった言葉をどうやって復活させてゆくのかを考えずに、言葉の切断作業のみを続けてゆくならば、子どもも大人も全く真暗な「言葉の闇」(関係の闇)の中に押しやられてゆくだけである。
この国の将来に最も重要な事は、「心に届く言葉の関係」を本気で築いてゆくことなのだ』

まさにその通り、人を人として幸福に向かわせてゆく言葉の大きな力“文化”それは何処か遠くにある茫漠としたものではない。すぐそばにいる人との関わりの中にある。
すぐそばにいる人の話しかけてくれる言葉、声、見つめてくれるまなざし、そしてふれてくれる人肌、所作(行為)の内にあるのだ。

あの人の声を聞いていたい! 暖かなやわらかいあの声に抱かれていたい!

穏やかで、澄みきった静けさのあの声をじーっと目をつぶり聞いていたい!

美しく凛としたあの声を両の手でつかむように聞いていたい!

一軒一軒の家の中に、そして今、全国に広がっている子ども達への「おはなし会」のそのひとときに美しく暖かな母国語が響いていることを。
話し手の一人一人が、空の星のようにまたたいていてくれることを心より願う。


(七楽章)ストリーテラーの仕事

言語文化の最高峰であるストーリーテラーの仕事は、日本ではまだまだ歴史も浅く、かつて臨床心理医が認められていなかったように、世間からも少し時間のある人の余暇的趣味としか思われていない状況である。児童文化という世界も名称だけはしっかりとあるが、確かに児童の“文化”といえる内実と広がりを、他のマスメディアに匹敵するほど持つことができているのだろうか?
子ども達への美しい言語文化を、大人は本気で考えてきたのだろうか?
だが私は信じている。今を土台に我が国のストーリーテラー達が、いよいよこれからすばらしい仕事をしてゆくということを。
かつて臨床心理医達が、賢明な汗を流し実績を積み上げて社会に見事なプロフェッショナルの仕事を実現させたように、今、全国の児童の文化に関わる多くの人達が本気でその道を“仕事です”と言える高みまで深めてゆき、必ずや地上の星となるであろうことを心の底から信じている。

昨年、三人のストーリーテラーを迎えた。
松岡享子、波瀬満子、古屋和子の三氏である。アンデルセンに始まり、子どもの詩、そして最後に「美しい町」を三者はそれぞれに語ってくれた。
彼女達は、音楽を奏でるように語った!! 美しい歌を歌うように語ってくれた。
それは上等のビロードの布に素肌でくるまれているような幸福なひとときだった。
三人のストーリーテラー達は、聞き手の心に生きる喜びと希望、そうまさに幸福へと向かわせてくれる力をあふれさせてくれたのだ。
彼女達がこれからしてゆく仕事を思うと胸がふるえる。
ストーリーテラーという仕事の確かな豊かさ、大きさそして美しさをはっきりと感じさせてくれたひとときであった。彼女達の後をゆくストーリーテラーが、もうどこかで歩き始めていることを信じている。誰もが皆、それぞれの場で本気でプロフェッショナルな内実を内包した文化の担い手となってくれた時、日本の大地は必ずや黒々とした豊かに肥えた文化の地となることだろう。
その肥えた大地には、欲の種は決して根づかず、そこにはアイデンティティー、つまり人間の根っこ、魂の根っこがのびのびと無限にその根を張ってゆくのだ。


(八楽章) 小さな命の根っこ

我が家に九年前に天国からかけおりてきた小さな命がある。
この命を迎えた時、若い父親と母親は建物の外壁どころか、床板一枚ない有り様だった。
「もう何年か後に来て下さい」とは決して言えない運命は、容赦のない風を吹かせ続けた。
「すみれ」と名づけられたその命は、吹きすさぶ風の中で懸命にこの世に根を張ろうとした。

やがて九年の歳月が経った。
彼女は今、野に咲く一輪のすみれの花のように愛しい笑顔をあふれさせて立っている。
先日、誕生日にある贈り物をした。
何も入っていない箱をリボンでくるみ、手紙を一通そえた。
「この箱の中には、楽しい気持ちがいっぱい入っています。“楽しい気持ち”贈ります!」その箱を受け取りいったいどう思うのだろうと、ドキドキした思いだった。
しばらくして返事がきた。
「贈り物ありがとう。箱をあけたとたん、楽しい気持ちが、お家の中いっぱいに広がり、ママと一緒に楽しい気持ちを吸い込みました。ママもすみれもとても楽しい気持ちになりました。そして夜、パパと三人で楽しい気持ちってどんな気持ちだろうと話しました。
そうしているうちに、みんな楽しい気持ちがいっぱいあったことに気がついて、
とても楽しい気持ちになりました。すてきな贈り物をありがとう!!」
ああ! なんと彼女は内側を持てていたのだ。
見えない“気持ち”というものを感じとることができる心を持てていたのだ。

床板一枚ないあの家で、外側の生存すらあやぶまれていたあの家で……
彼女はなぜ内側を育てることができたのだろうか?
この子の母親は一体この子に何をしてきたのだろうか?
何を食べさせてきたのだろうか?

この子が食べてきたのは、人肌のぬくもりだった。
若い二人は、人並みの迎え方ができなかった自分達の未熟さを心の中で詫びながら、
ただひたすら自分の肌で小さな命を抱き続けた。
外壁もない家の中で、唯一持っていたその素肌で、この子を抱き続けたのである。
その目をじーっと見つめ、愛しい想いを胸いっぱい込めてこの子の名を呼び、そして
話しかけた。やがて小さな命は、母なる大地にしっかりとその根を張り始めた。

人は誰も皆、いつまでもいつまでも誰かにやさしく抱かれていたい。
愛しいというまなざしで見つめられ、想いのこもった声で名を呼ばれ話しかけられたい。
話しかけるということは、心で相手の心を抱くことなのだ。
心が心に抱かれて、そのぬくもりの中で一人一人が、自分の根っこを人生という大地に
しっかりと張り、幸福へと向かってゆくことができるのである。


(終章) 一本のワイン

ワインのできるところをワイナリーと言う。

人生の喜びも悲しみも、苦しみも寂しさも、何もかもがやがて静かにゆっくりと混ざり合い、
発酵し、一本の上質のワインとなってゆく事を心より願う。

パステルナークの言葉に次のようなものがある。

生きてゆくということは心の奥からこみ上げてくる
喜び 悲しみ 苦しみ 迷いの何もかもを
どろどろに溶かし その混沌の中から
自分の生きてゆく時代の矛盾を突き破ってゆくことだ

パステルナーク氏からバトンを受け取ろう。
突き破るだけでなく、そこからひとすじの「人間の道」をつくってゆこうではないか!

まもなく我等、団塊の世代がいよいよ食い扶持を稼がなくてもよい時がくる。
何十年か前、大学というシステムに体当たりして、その矛盾を突き破ろうとした武将達は、
必ずやこれから、もうひとつの美しい仕事をしてゆくであろう。
いよいよ本物の一人前となる時がやってきたのだ。
社会に“愛”という代価をさしだすことができ、心の食い扶持を稼げるようになった時こそ
人間として一人前になれる時なのである。

昔、よく歌ったあるブルースの何番かにこんな歌詞がある。

 ♪ 故郷すてたじゃないけれど〜 なんでこのまま帰らりょか〜 ♪
   ♪  き〜っとひと旗揚げてよー 旗を土産に帰るのさ〜  ♪

何十年か前、天国からやってきた小さな命達! この大地に確かなひと旗、人間の美しい仕事という旗を掲げ上質のワインを一本、命継ぐ者達に手渡し、雄々と雄々といつかもときた天へと戻ってゆこうではないか!

さぁ、その日の為に私も「おはなしかごワイナリー」に美しい葡萄を植え続けてゆこう。

このワイナリーの風に吹かれに その一房の葡萄を食しに
皆よ いざ来たれ!!


                                                 (完)


参考文献:「犬はどのようにして子を育てるか」
森永良子・著(どうぶつ社)



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