おはなしかご
 

エッセイ集

エッセイ集
「ひつじ年に想う」

ひつじは自分の一部である体毛で人の体を暖かく包む衣服をつくる。
やさしい目をして、穏やかなほほえみをうかべながら黙々と暖かいものをつくり続ける。

そんなひつじを想う時、我等人間も何か自分の一部に人を暖められるものがあるのだろうかと考える。

すると・・・あるではないか! 声である。言葉である。

身の内から出てくる「暖かい言葉」である。

長い人生、艱難辛苦(かんなんしんく)のこの道で誰も皆、何度かこの見えない衣服「暖かい言葉」に身を包まれ寒さをしのいできたことか。

とにもかくにも、どうにか「ここ」まで歩いてこれたのは何着かのこの衣服由(ゆえ)であったはずだ。

「あの時はあのひと言に救われた」「あの言葉で自信をとりもどせた」
「あの人のあのひと言が勇気を持たせてくれた」
「あの言葉はどれだけ寒かったあの頃を暖めてくれたか計りしれない。」
などと、しみじみ思い返してみると見えない何着かの「言葉の衣服」が「心のタンス」の中にしまわれているにちがいない。

つまり、我等人間の体内にも暖かなセーターを編める毛糸があるのだ。

その毛糸で美しく暖かなセーターなるものを編み、人にさし出すことができるのだ。

だが時折、この毛糸がもつれてしまうことがある。毛糸(思い)は胸の中いっぱいにあふれているのだが、どうしてよいかわからない(どう編んでよいのかわからない)。気持ちをどう伝えればよいのかわからない。こんがらがってしまい糸口が見つからなくなってしまうことがある。

幼い子がじだんだをふんでぐずっている光景を見ることがあるが、まさにあれがそうである。心の糸がこんがらがってしまいどうしてよいかわからなくなってしまうのだ。

自分一人ではほぐせなくなってしまい助けを求めるのだ。

それなのに「ぐずっていたらわからないでしょう。どうしてほしいとハッキリ言いなさい。」

などと叱られてしまうのだが、そう言われれば言われるほど糸はますますからまってしまう。

そのうち親の方の糸までもつれだしてしまい、親子の関係の糸もこんがらがってしまうことも少なくない。だが幼子の場合、ほぐすのは容易(たやす)いことだ。

「どうしてよいかわからない思い」と一緒にその体を丸ごと抱きしめればよいのだ。

「なんだかこんがらがってしまったのね」と言って、しっかり抱きしめてあげればよいのだ。抱きしめられたその肌のぬくもりが必ず幼子の心の糸をときほぐしてくれる。

そして気がつくと親子の心の糸は又しっかりと、もとどおりつながっているのだ。


だが思春期あたりになってくるとだんだんむずかしくなってくる。

まず「体を抱きしめる」ことができにくくなるからだ。この時期には「心で抱く」ということが必要になってくるのだが、この「心で抱く」ということがなかなかむずかしいようである。

思春期というものは猛烈に自己の存在の根、つまり親とのつながりを確認する時期であり、なおかつその確認の上に、複雑きわまりない社会構造や人間模様の中に自分の糸をからませ、他者と共にセーターを編んでゆく始まりの大切な時期なのである。

何度も何度も心の糸はもつれるであろう。

そんな時本人がそのもつれとじっくり向き合う時間、つまり混沌を生きる充分な時間が実に重要になってくるのだ。

だが、本人の丹念なその作業を大人が見守りきることができないことがある。

つまり、本人ではなく、まわりの大人がその状況を持ちこたえられなくなり、ハサミを持ち出し性急に糸を切ってしまうことも少なくない。

その切断由(ゆえ)、生じた痛ましい事件が日々後を絶たないことは実に悲しいことである。

もう少し、本当にもうほんの少し、大人に持ちこたえる心の力さえあればその子はみごとにその混沌を生きぬいてくれたのにと、悔やまれる思いばかりである。

今、改めて大人の一人一人が我が身におきかえて感じてほしい。

誰も皆、何度か自分でもどうしてよいかわからない程、内なる糸(気持)がこんがらがってしまったことがあるはずだ。

そんな時、一体どうしてもらうことが一番ありがたかったのだろうか。

それは言うまでもない。暖かなまなざしのゆったりとした時の中で心ゆくまで、もつれをほぐさせてくれる時をもらえることだ。責められず、せかされず、しっかり糸口(自分の気持ち)をつかませてもらえることだ。それがやがて、世に言う「自分で自分の始末をつける力」つまり「混沌を生きぬく力」となってゆくのだ。

「ピーターパン」の物語の中にこんな文章がある。

「母親は子ども達が眠ってしまうと寝室にゆき、その寝顔をじっと見つめながら子ども達の 心の繕(つくろ)い物をする」・・・と。

なんと暖かく美しい言葉だろうか。「心の繕(つくろ)い物」!

それは見えない心の糸でするのだ。「思う」という心の糸でするのだ。

私の父は脳の病の為、盲であった。それ由(ゆえ)、一家の大黒柱としての経済力など全く持ち合わせていなかった。それどころか母が必死で、どうにかそのかぼそい手で得てくるわずかな収入の大半が父の病の為に費やされていった。その頃の父の真の苦しみは、自分の存在価値の確証であったにちがいない。三人の子の親という座を生きながら、親としての内実を一切持ちえなかった者の苦しみはどんなに近しい者でも計りしることはできなかったであろう。

その父がよく、子等がぐっすり眠ってしまうとその床のそばにゆき、(盲由(ゆえ)、悲しきかな寝顔を見ることはできなかったが)そーっとその頬に手をあてて「すまないな」「すまないな」とつぶやいていたそうだ。

その時の父のできることは子等にただわびることだけであったのだ。

「すまない」この言葉は確かに「詫び」の言葉である。どう心中を探そうとも父の口から出てくる言葉はこれ以外あるはずはなかった。何ひとつ子等にさし出すもののない一人の父親の身の内からでてきた唯一の言葉であり、「うめき声」でもあったのだろう。

だが私は思う、「すまない」という言葉の奥深くを思う。わが子の寝顔すら見ることができなかった一人の盲の男の心中深くを思う。ただひたすらわびるだけだった男の心中深くを思う。

思うが由(ゆえ)、確かに感じる。その奥深くにある言葉が聞こえてくる。

何ひとつできない。つまり現実の力(外側の力)を全く持ちえない者がすることは一体何なのだろうか?それは——

内側のすべてをさし出すことだったのだ。「祈り」である。父は祈ったはずだ。

命のすべてをかけて祈ったはずだ。「この子等に幸あれ」と。

そしてその時、父は、はっきりと知ったにちがいない。天命が己に課した真の仕事を。

人間の成しうる最大の深き仕事。それは「祈る」ことである。「思う」ことである。

言葉には聞こえてこない言葉がある。

心の深くで聞きとらねば決して聞こえてこない言葉がある。

わが父とピーターパンに出てくる母親の思いには、寸分の違いもない。

われら盲の父を持った三人の子は、幾晩「幸あれ」と祈られたであろうか。

幾晩、内側をしっかり抱かれたであろうか。

この父の「祈りの糸」がどれほど三人の子の心のほつれを、生涯繕(つくろ)い続けてくれたか計り知れない。

時空を超え、個が個の幸を祈る糸ありし由(ゆえ)、人はこの複雑きわまりない人生の糸のもつれに立ち向かってゆけるのであろう。


長男の子がある時期しきりに父親の肩車をねだったことがある。他愛もなく求めているのだろうと思っていたのだがその様子をよく見ていると、以前にぐずったり黙りこくってしまったような状況に遭遇するときまって「パパ、肩車!」という。若い父親は造作もなくヒョイと彼女を肩にのせるのだがのった彼女は、はしゃぎもせず父親の頭をしっかりとつかみじーっと前を見つめている。そして長い時間おりようとしない。父親の方が重たくなり、「少しおりようよ」と声をかけても「いや」と言ってまさに「気がすむ」まで父親の肩にのっている。

そんな様子を見つめながら昔、この父親が幼かった頃やはり何かのことでぐずり、その後私の背におぶさり、ずいぶんと長い時間おりようとしなかったことを思い出した。

あの時、彼も又、小さな心の糸のもつれを母の背のぬくもりの中でゆっくりとほぐしていたのだろう。

あの時の幼な子がいつの間にか父親となり、その肩で新しい小さな命が必死に生きていこうとしている。必死に心の糸のもつれをほぐそうとしている。

「肩車」という実に危うい姿勢の自分を、しっかりと支えてくれている父親の体を確かに感じながら、自分の視座(しざ)より遥(はるか)に高い視座で、まっすぐに前を向いて必死に自分とそして目の前に広がる未来の時を見つめている。


この子は父親と母親がまだ「若すぎる」時に、思いがけず天から舞いおりてきてしまった子だけにこの六年間は親の未熟さ由(ゆえ)、この子の小さな胸の糸はきっと何度も何度も、もつれたにちがいない。だがこの子はまだ知らないのだ。父親のその若さ由、他のどの子よりも長く父親の肩にのれることを。

いつまでものるがいい。中学生になっても、高校生になっても、二十歳になってもいつまでも「パパ!肩車!」と言うがよい。

父親の肩はそのたびにひとまわりもふたまわりも大きく頑丈になってゆくだろう。


そんな思いで、様々な混沌を生きる多くの思春期の子らを思う。彼等のすべてが皆「肩車!」と叫びたい思いで胸の中はいっぱいなのであろう。危うい自分をしっかり支えてくれる力、そして高見をみせてくれる「心の肩車!」にどんなにかのりたいことだろう。


そうなのだ。人というものは生涯、誰かの肩車にのせてもらい、自分一人では決して見ることのできない「広い広い展望」と「美しい遥彼方」というものを確かに見せてもらい、そして力と希望でいっぱいになったその胸で地におり、又洋々と洋々とこの現実という大地を歩いてゆくのだ。

私も今までどれ程の人の肩車にのせてもらったことか。

盲の父が自分の心の命のすべてをかけて、地中深く埋もれてしまったかもしれないあの暮らしの中から、高々と高々と我等三人の子をこの大地に立たせてくれたことに始まり、この胸にどれ程の「まばゆい程の美しさ」と「奮える程の深さ」と、「叫びたくなる程の広さ」を見せてくれた大人達がいたことか!

今、思い出してもその感動に胸ふるえる! すばらしい大人達がいてくれたことの喜びよ!

「心の肩車!」それは言うまでもない「深く豊かな思想と哲学」そして「文化芸術」である。


時空を超え、類が類の幸を祈る糸(文化芸術)ありし由(ゆえ)、人はこの複雑きわまりない人生の糸のもつれを自己の力でときほぐし他者と共に美しく暖かな心の衣服を編んでゆけるのであろう。


様々にもつれてしまった国と国の間の糸、人と人の間の糸、それらすべてはその国の文化芸術の在り様にかかっている。それらのすべては一人一人のその手の中にある。

その声の中にある。小さな小さな愛、小さな小さな文化にかかっているのだ。


若い夫婦の互いの糸が、若い親子の間の糸が、もつれて苦しんでいるのを見るとたまらなくなる。昔の自分を見るようでたまらなくなる。とんでいって一緒に糸口を見つけてやりたい思いで胸がいっぱいになる。しかし家族でもない私が具体的なもつれに関われはしない。

その苦しい横顔を見つめながら、私は作品を生む。

「待っているのよ、今すばらしい編み棒をもってゆくからね。」

「もう少しハサミを持たずにこらえているのよ。今、糸口を見つけられる方法を届けにゆくからね。」と。


誰もかれも心の中にすばらしい毛糸を持っている。美しい自分だけの色の毛糸を持っている。

その毛糸がもつれず「スー」とでてきて、本当に気持ちよく糸口が「スー」とでてきて、まばゆいばかりの美しいセーターが編み上がることを願い、今年も又、魔法使いの学校で魔法の編み棒を皆に渡してゆこう。

文学の専門家を集めているのではない。大人達よ、すべて集まれ! と叫んでいるのだ。

誰も皆、自分のすぐそばにいる「心」に「命」に暖かい手編みの「心のセーター」を編んでやってほしいのだ。文化とは、自分のその声の中にあるのだ。


そんな思いで、私は今年もやさしい目をして、おだやかなほほえみをうかべて、ひつじの様に黙々と黙々と暖かい毛糸(作品)(講座)をつくってゆこう。




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