おはなしかご
 

エッセイ集

エッセイ集
「2016年いい話」

2016年 新春・新年おめでとうございます。


今年はさる年です。
「見猿 聞か猿 言わ猿」と言うさるの話があります。
決して見てはいけないもの、決して聞いてはいけないこと、そして決して言ってはいけない言葉・・
それが大切に守られて、人と人が深く美しい絆・幸福を築いてゆく事ができるのだ・・言う諺です。
・・・けれども「何としても見せたいもの」「聞かせてあげたい話」「言ってあげたい言葉」があります!
おはなしかごは「本当に聞いて良かったいい話」を届け続けて30年目になりました。
今年も心を込めて「いい話」「楽しい話」「美しい話」「心が芯から温まる話」を子ども達に、若者達に大人の方々にお届けいたします。
・・・・それでは2016年の「いい話」始まりです。


(第一話 ・・・・・何年か前の新聞に載っていた話です・40代の男性が昔を回想して書いたものです)
 僕は中学生の頃、ひどく荒れていました。家にもいろいろなことがあり、その上担任にも嫌われていました。
 受験を目の前に、ただただ荒れていく自分を、自分でどうすればよいのかわかりませんでした。
 そんなある日、あることで担任に「お前なんか存在する価値はない」と言われたのです。
 気がつくと、僕は「ウォー」と叫び声をあげ、教室の窓ガラスを拳で何枚も割っていました。
 担任はあわてて「校長を呼んでくるぞー」と叫びながら教室を出て行きました。
 それからすぐに担任は校長を連れて来ました。教室に入ると校長は「この子と二人にしてくれ」と担任を職員室に帰しました。
・・・二人になると校長はポケットからハンカチを出して血が出ている僕の手をふいてくれました。
そしてもう一枚のハンカチを包帯のように手にまいてくれました。
 それから何も言わず、辺りに散らばっているガラスの破片を拾い始めたのです。
 いつのまにか僕も一緒に拾っていました。
 ・・・・ガラスの片付けがすべて終わると校長は僕の前に立ち、深々と頭を下げたのです。
 そして頭を下げたまま言った校長の言葉に、僕は自分の耳を疑いました。
 校長は僕に「すまない」と言ったのです。「君をこんな気持ちに追い込んでしまい、すまない」と言ったのです。
 気がつくと僕の目からも校長の目からも涙がポトポトとこぼれていました。
 どのくらいそうしていたでしょうか。ふと気がつくと窓の外に夕焼けが見えました。とてもきれいでした。
 その時、僕はハッとしました。今まで夕焼けなど見る気もなかったし、見てもなんとも思わなかったのです。
 それが今なんと美しく思えたことか
 ・・・校長の涙が、僕の心の中の汚れも荒み(すさみ)も ねじれも渦巻いていた汚いもののすべてを洗い流してくれたことにはっきりと気がつきました・・
 それからはまわりの何もかもがまるで違って見えてきたのです。自分を、責めて責めて責めまくっていた自分がうそのように消えていました。
 体の奥から信じられない力が湧いてくるのもはっきりと感じ ました。
 ・・・・・校長はこの事を誰にも言いませんでした。僕も誰にも言いませんでした。ですからその日の出来事は、僕と校長のふたりしか知らないのです。
 卒業式の日、校長は何も言わず僕の手をぎゅ!と握ってくれました。
その手のぬくもりは今でも僕のこの手の中にあります。
卒業してからもいろいろな事がありましたが、辛く苦しい時には必ず僕の右手がどきん どきんと音立てて、校長先生がしてくれた「人としての最高の仕事」を思い出させてくれるのです。
 あの日、校長先生と出会えたことで僕の人生の道は大きく変わったのです。
 僕は今、罪を犯してしまった少年達の施設で仕事をしています。
 彼等の一人一人に心の中で「すまない」と詫びながら、今僕ができる精一杯の「人としての最高の仕事」をさせてもらっています。


(第二話・・・・・・ある保育園の園長先生から聞いた話です)
 ある、ひとりの保育士が目を輝かせて職員室に入ってくると言いました。
 「今日Mちゃんに感動しちゃったんです!」・・・その話はこういうことでした。
 その日、その保育士が赤ちゃんを抱いて授乳していると、一才児のMちゃんが保育士のそばにやってきたそうです。
Mちゃんは新しい保育士に慣れないで、もとの担当だったその保育士と過ごしたくてきたのです。
けれども授乳中だったのでMちゃんを抱っこしてあげることができませんでした。
 ・・・するとMちゃんはしばらく黙って保育士のそばに座っていましたが、そのうち保育士の足の上に自分の足をちょこんとのせて
「これは?」と言って自分の足を指さしたので
 「M子ちゃんのあんよ」と言うと・・今度は赤ちゃんの足を指して
 「これは?」と言うので「赤ちゃんのあんよ」と言うと、今度は保育士の足を指して
 「これは?」と言うので「先生のあんよ」と言うと、今度はもう片方の足を順に指していって
 「これは?」「これは?」と聞き続けたのだそうです。
 グルグルグルグル・・・何度も何度も・・・とうとう赤ちゃんがミルクを飲み終わるまで続いたそうです。
 ミルクを飲むのは短い時間ではありません。その間ず〜とくり返していたそうです。
 この保育士は以前にも、同じ様な事をとても嬉しそうに話したことがあったのです。
 それは・・やはり一才のTくんが絵本を持ってきた時の事でした。
 その絵本には大きな木が描かれて いてその木の枝に小鳥が沢山とまっていたそうです。
 Tくんが一羽の小鳥を指して「これは?」と聞いたので 「ピッピ」と言うと・・また別の小鳥を指して「これは?」と聞くので
 「ピッピ」と言うとまた別の小鳥を指して「これは?」と聞くので
 「ピッピ」と答えているうちに、とうとう全部聞かれて全部「ピッピ」 と答えたそうです。
 その事をとても楽しかった!と本当に嬉しそうに話してくれたのです。
 その日、Mちゃんとの話を聞いているうちに、Tくんとの小鳥の話も思い出したのです。
 私は胸がいっぱいになり、涙がこぼれそうになりました。
 Mちゃんはまだ一才です。
 そんな小さな子が 自分の力ではどうすることもできない現実を目の前に自分の気持を諦めて放棄するのではなく
 それでいて現実を壊しもせず(赤ちゃんの授乳の妨害もせず)やわらかく、やさしい方法で自分の気持ちを実現したのです!
 小鳥はTくんにとっては一羽一羽違う鳥なのです。
 その鳥の名を全部聞きたいと言う気持ちをゆっくりていねいに実現したのです。
 ・・・一才児が、いかにゆったりと悠々と、そして心ゆくまで自分の世界を生きているかと言う事にも改めて感動したのですが、それ以上に幼子の無垢な、ゆったりとした世界を誠実に温かく受けとめ心から共に過ごしてくれた保育士がいたということに心が奮えたのです。
 心が充たされたその子達はどんなにかその日一日を心から安心して楽しく過ごせたことでしょう。・・・
 あの時のMちゃんもTくんも今ではもう20才。何ひとつこの事は覚えていない でしょう。
 あの時間は、今はあなたたちの心中深い沈黙の海の底に沈んでいることでしょう。
 けれども、一才の時のあなた方を心から愛し、大切にし、幼い心の大きな宇宙に感動し共に生きた一人の保育士がいたということ・・・
 それはあなたたちの確かな心の宝石となって、生涯心の奥で輝き続けることでしょう!



この話を聞いた時私も胸がいっぱいになりました。
心ある保育への感動でもありましたがそれ以上にこの保育が実現できる内的環境を創りあげていた、その園長の「保育士としての最高の仕事」に深く深く頭を下げました。
この保育園は牛久の愛和総合病院の看護師のお子さんを預かる24時間体制の「マリアナーサリー保育園」です。
当時の園長は八木ミチ子さんです。
八木さんは昨年お届けした新年の話の原口先生の生徒で、安藤君の同級生です。
原口先生の「最高の仕事」が八木さんの「最高の仕事」を創りあげさせてくれたのですね。
八木さんの保育実践の話をぜひお聞き下さい。
小さな小さな保育園ですが何ともほほえましく温かなマリアの子ども達の話は、疲れも苦しさも何かもを洗い流してくれます。
八木さんへの講演依頼は「おはなしかご」へ。
2016年!それぞれの場でそれぞれの心からの「人としての最高の仕事」をしてゆきましょう!



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