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エッセイ集

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「申年に想う」

「さる」と言うと真っ先に脳裏にうかんでくる三びきの猿の姿がある。
一ぴきは両手で目を隠し、もう一ぴきは両手で耳をふさぎ、もう一ぴきは口をおさえている。
「見猿、聞か猿、言わ猿」の姿だ。
この猿達といつ出会ったのかは思いだせないほどだから、かなり幼い頃だと思う。
誰の声かは定かではないが、その猿達について話してくれている声も聞こえてくる。
この猿達は人間に大事なことを教えてくれているのだと言っていた。それは
「世の中には決して見てはいけないもの、聞いてはいけないもの、
決して言ってはいけないことがあるのだ」と。
それを聞いて、
「世の中って一体どこにあるのだろう? もしかして自分もいつかそこへゆくのだろうか?もしも行ったなら、そこで見てはいけないものを見てしまったら、どうなってしまうのだろう?聞いてはいけないものが聞こえてきてしまったら、どうすればよいのだろう?言ってはいけないことって何なのだろう?世の中の入り口に誰かがいてそれを教えてくれるのだろうか?」
と小さな心が「世の中」というものへの得体の知れない不安でいっぱいになった気持ちも思い出されてくる。


ところがいつのまにか、全く気がつかないうちに本当に「いつのまにか」その「世の中」にきてしまっていた。しかもそこでもう50数年も過ごしてしまっている。その間に「見てはいけないもの」を見てしまったのだろうか?
「聞いてはいけないもの」を聞いてしまったのだろうか? 「決して言ってはいけない何か」を誰かに言ってしまったのではないだろうか? ふり返ってみると、ある、ある、どっさりとある。
  ”あぁ、あの時あんな事言わなければよかった
  あんなことに耳を貸さねばよかった
  あのことから目をそらせばよかった “
と、次から次へとぞーっとするようなことばかりが思い出されてくる。


昔話に「みるなの座敷」という話がある。
「この座敷だけは決して開けてはいけない」というのに一人の男が開けてしまい、中を見てしまうのだ。
「つる女房」も同じ話だ。この話の中の二人の男は、そのことで目の前まできていた「幸福」をのがしてしまう。
これは昔々のことなのだが、不思議に現代にもこの「みるなの座敷」と同じ話があちこちにある。
相手の携帯電話の中味を見てしまったことで、二人でこれからせっかく築こうとしていた「幸福」が一瞬にして消えてしまう・・・という出来事は少なくない。


人は誰も皆、幸福になるために生まれ、幸福になるために生きてゆく。
そして、その「幸福」というものには、たった一人ではなることができないことを知ってゆく。
「幸福」とは、人と人との深い関係の在り様の「名」なのである。
だが、なぜ誰もが心の底から願うその「幸福」になる途上で、それを壊してしまう行為をしてしまうのだろうか?
なぜ「見てはいけない」というものを見てしまうのだろうか?
「ここからは入らないで下さい。」という看板が見えていないのだろうか?
いや、その看板も凛と確かに立っているのだろうか?
「プライバシーの侵害」という言葉がある。「テリトリー侵害」という言葉がある。
「越権行為」という言葉もある。心に不法侵入してきたことに対する言葉だ。
どこからがその人の「プライバシー」であり、「テリトリー」であるのか?
それはどうやって見極めればよいのか?
自、他、の心の距離というものは、人が個として類を生きてゆく上に、そして他者との間に「幸福」という関係を築いてゆく上に実に大切なことだ。
職場や、社会ではこの距離はつかみやすいのだが、家族や恋愛関係のような近く濃い関係においては実に難しい見きわめである。
それは、この看板が常時同じ場所に同じ大きさで立っていないからだ。
突如としてその現状の関係の中に立ち現れてくるからだ。時とともに変化もするからだ。


最近、長男の子がしきりに「パパ見て見て!」と言う。7才になって、いろいろなことができるようになった自分がうれしくてたまらず見てほしいのだろう。
だがそのうち、
「パパ、少し遠くで見ていてね、でもふり向いた時にはそこにいてよ。」と言う時がくるのだ。
そしてやがては
「パパ見ないで下さい。私は私のやり方があるのです。」という日もくるのだろう。
その時までしっかりと見ておくのだ。
「見て見て!」と願っている時にしっかりと我が子の姿を見ておくのだ。
やがてそれが、見失いそうになる二人の関係を根っこで支えてくれることを知るだろう。
人は皆、誰かに、たまらなく愛しいまなざしで見つめられて自分の存在の根を人生の大地に張ることができるのだ。しっかりと「もういい」と言うまで見つめるのだ。
それがやがて「決して見てはいけないこと」や「見てはいけない時」をはっきりと知る力となってゆくのだ。


「聞いてはいけないこと」とは一体何なのだろうか?
倉本聡は「ニングル」の中で「知らん権利」ということを書いている。
人間は「知りたくない」という権利を持っているというのだ。
(昔、流行った歌に「知りたくないの」という題名の歌があった。「あなたの過去など知りたくないの」という
 歌詞だが、それは実に賢明な行為だ)
つまり人間は「聞きたくない」ことには耳をふさぐ自由がある、と言うことなのだ。
大人の言葉で言えば、「耳を貸さない」という行為だ。
だがそれは、大人であれば容易なこともあるが、人生の弱者である子ども達にとっては
容易ではない。毎朝の朝礼の話や、毎日の授業が「聞きたくない」ものであっても両手で
耳をふさいだら大変なことになる。
「心で聞かない」ということもできるのだが、彼らにとってはそれも至難のことだ。
あとでテストとやらで聞いたことを確かめられるからだ。だがその中でも果敢にすばらし
い(?)点数で「全く聞きたくありませんでした」という意志を表示している者もいる。


いつか天声人語にこんなことが書かれていた。
「口から入るものは”食べさせない“ということで防御できるが、
目と耳から入ってくるものは全く防御のすべはない」と。
子ども達にとってはそれはなお一層のことである。


昨年語った「フランダースの犬」の中にこんな場面がある。
飼い主に殴られ蹴られ続け、とうとう力尽きた一匹の労働犬が、街道のわきで命が尽きる
その瞬間に自分の全人生を回想するのだ。


「犬がこの世で耳にしたものといえば飼い主の怒鳴り声と、自分をののしる口汚い言葉だ
けだった。そして体にふれたものは背中に振り下ろされるムチと、腹を蹴飛ばされる男の
革靴の硬い靴底と、擦れて体の肉をえぐりとる荷車の梶棒の柄の痛さだけだった。
それが犬の人生のすべてだった」


やがて目がかすみ、まぶたが閉じられようとしたその時、犬は一人の老人(ダースじいさん)
に抱き上げられるのだ。そして老人の小屋につれてゆかれるのだがそこで犬は、今までの
人生でただの一度も出会ったことのないことに出会うのだ。
小屋の隅で死線をさまよう犬の耳に、不思議にただの一度も、怒鳴り声も口汚い言葉も
聞こえてはこなかったのだ。
犬の耳に聞こえてきたのは、老人の穏やかな言葉と、小さな男の子の愛らしい声だけだった。
そして体にふれたものと言えば、そっと体をさする老人のやさしい手だけだった。
そんな中で、もう死んでいるといってもよい犬のその体が、まさかと思う快復のきざしを
見せてゆくのだ。犬の体の奥から「生きよう」という気持ちが生まれてくるのだ。
やがてその四つの足でみごとに立ち上がったその時、犬の心の奥に、生まれて初めて「愛」
というものがめばえたのだ。犬が快復したのは体だけではなかった。
死にかけて何の役にもたたないゴミの様な自分を、捨てもせず、殴りも蹴りもせず、ただ
ひたすら体をさすり続け、食べものを与えてくれた老人に寄せる「愛」が、犬の心の奥に
生まれていたのだ。その「愛」が犬を生還させたのだ。
そしてその思いは、生涯ただの一度もゆらぐことはなかった。


1920年にインドのミドナプールという所で、狼に育てられた子が発見された。
やがて、「カマラとアマラ」と名付けられたが、彼女達は人間として生まれたにもかかわ
らず、狼に育てられたことで二足歩行をせず、言語も表情も「名」も持っていなかった。
そのことは生きてゆく上で大変不幸なことだと思った。
ところが、何年か前に新聞記事に中学二年生の女の子のこんな投書が載っていた。
「私は ”カマラとアマラ“であればよかった」という書き出しだった。
この子の両親は、毎日のようにいさか諍いが絶えず、その子の耳に入ってくるものは怒鳴り声と
自分をののしる口汚い言葉だけだった。その子は、
「人間はなぜ『言葉』なんていうものを持ってしまったのだろう。言葉なんてなくなって
しまえばいい。私がもしも「カマラとアマラ」のように狼に育てられていたのならこんな
言葉を聞かなくてすんだのに」と書いていた。


私は祈った。この子がいつか「ダースじいさん」に出会うことを祈った。
今でも祈り続けている。


生前、父はよく「ここは御国を何百里〜離れて遠き満州の〜」という戦歌を歌っていた。
どこにもゆき場のない深い悲しみをこめて歌っていた。
幼い子が聞かされる歌ではなかったのだが、私達姉妹は、あの長い歌を今でも最後まで
思い出せるのだから、よほど何度も何度も耳にしていたのだろう。
父は戦場で仲間と、
「一体この中の何人が生きて国に帰れるのだろうか?」と、毎晩話し合っていたそうだ。
そして、「もしもこのまま異国の土となる者があったなら、その人の代わりに生きて帰れ
た者が、遺された家族をこの手で抱きしめようではないか」と固く誓い合い、互いの手を
毎晩握り合っていたそうだ。家族に届けてほしいぬくもりを託し合ったのだ。


父は生還した。だがその直後、病の為、全盲となってしまったことで友に託された願いを
果たすことができなかった。その申し訳なさと切なさが、父にあの歌を歌わせていたのだ
ろう。どんなにか友の家族を訪ねたかったことか・・・・・
あの悲しい響きの戦歌は今でも私達の体の奥で聞こえている。
だが、なぜ私達はそんな悲しい歌を聞き続けてしまったのだろうか?
なぜ耳をふさがなかったのだろうか・・・
もしかすると、その歌の向こうから父の友たちの言葉にならない想いが聞こえてきていた
からかもしれない。父の果たせなかった仕事を、戦後に命を授かったこの身に、託された
思いがしていたからかもしれない。


その後、語り場という大勢の人の前に立つようになった私は、聞いてくれている子どもや
親たちを見ると、
「あぁ、もしかしてこの中に父にぬくもりを託した方の家族がいるかもしれない」と思う。
そう思うと体がふるえてくる。
「いや、よしや家族でなくても遺された方々と同じ時代を生きてゆく人達なのだ」と思う
と、託されたぬくもりを届けられる思いで胸がいっぱいになる。
そして、懸命に、一心に心をこめて語り届けている自分がいる。


だが、ゆき場のない思いというものは長い間、胸の奥でじーっとしていてくれて、静かに
誰かに手渡せる時を待っていてくれることばかりではない。
毎日毎日のせいいっぱいの中で、はっと気がつくと、やりどころのない気持ちを思わず、
近しい人に乱暴にぶつけてしまっていたことも少なくはないだろう。
一人の人間が人生を生きぬいてゆくということは、容易なことではない。
ぶつけさせてもらったことで、どうにか険しい峠を越えられたことも確かなことである。
だが、ドッチボールは少ない方がいい。ぶつけられた痛みはきつ辛い。
どうにか難しい球でもキャッチボールへと変えてゆきたいものである。


だから、「決して言ってはいけない言葉」ではなく、
「言ってほしい言葉」に思いをは馳せたい。


今年の1月31日に語らせてもらう「路地のつき当たり」という長編の物語の中で、一人の女
が一人の男に「もういっぺんでいいからその言葉を言ってほしい」と懇願する場面がある。
「もういっぺんでいいの、もういっぺんだけその言葉、言ってくれないかしら。そしたら
私、これから先、生きてゆけるような気がするの」
そうなのだ! 本当にそうなのだ。
人は自分に、本気で言ってくれた命とも思えるたったひとつの言葉を、胸中深くに抱き、
人生のいくつもの峠を越えてゆくことができるのだ。

言葉塚という墓があると言う。その墓の下に
「言いたかった言葉、言ってほしかった言葉、言えなかった言葉」がねむっていると言う。
その墓を探そう。そして、掘り起こすのだ。掘り起こして、
「言ってあげたかった言葉」を届けにいこう。
「言ってほしかった言葉」を言ってもらいにいこう。
「言えなかった言葉」を言おう。勇気をふりしぼり、体をふるわせてでも言ってみよう。
生きているうちに、まにあううちに言おう!


いつか見た映画のラストシーンは実に美しかった!
題名は覚えていないが、一人の女の命がもうまもなく尽きるという場面だった。
ベッドのそばには一人の男がすわっていて、じーっと女の顔を見つめながら話をしている。
男は今までの人生で見てきた美しい景色や、美しいもののすべてを話し聞かせているのだ。
この女は幼い頃、家をなくし実に悲惨な人生をおくってきたのだが、その男はこの人を
少女の頃から想い、生涯を通して想い続けた。
だがやっと心がめぐり逢えた時、彼女はもうまもなく天に召されてゆく時だった。
男の話を女はじーっと聞いていた。そして、男が話し終えると、
「私見たわよ。今話してくれたもの、何もかも見たわよ。」と言ったのだ。
男は驚いて、女を見つめた。すると続けて
「だって、いつだって私をそこに一緒に連れて行ってくれたじゃないの。」と言ったのだ。
男はうなずいた。深く深くうなずいた。そうなのだ。彼の心の中には一刻たりとて彼女が
いなかった時はなかったのだ。彼は美しいものを見るたび、いつも心の中の彼女にそれを
見せていたのだ。それが本当に彼女の心に届いていたのだ。


人が何かを「見る」と言うこと、何かを「聞く」ということ、それは実に深い、深いこと
なのだ。本気で見つめたものは、必ず心の中に住んでいる「愛」という思いを抱く、その
人の心にも届いてゆくのだ


保育研究者、津守真氏は言う。
 「一人の人間の内部の成熟がそのまま社会の成熟となる。
  勇気や希望や愛や力が、一人の人間の内部で生まれ育ってゆくことによって、
 社会も同質の成長をとげてゆくのだ。」 

何もかもこれからなのだ。
自分の目が何を見てゆくのか。
何に耳を澄ませてゆくのか。そして、何をしてゆくのか・・・
そのことからすべてがはじまるのだ。
防御できないのなら、なお一層美しいものを見せてゆこうではないか。
聞かせてゆこうではないか。


空一面を真っ赤に染め上げる雄大な夕日!
体の奥底からふるえるような力が生まれてくる夜明けの太陽!
真っ青な海。ふるような星空。
歌いながら、確かに歌いながら吹く風の音、川のせせらぎ。
舞うように落ちる木の葉。雪のふる音。
美しい笑顔!深く穏やかな人の表情。
そしてそれらを伝える色彩やかな命ある確かな言葉。
見せていこう、聞かせてゆこう!


今年の「朝日社会福祉賞」が「あしなが育英会」(災害や病で親を亡くした遺児達を支え
る会)に輝いた。
1983年11月、熊本の交通遺児の高校生が街頭に立ち、大人達に呼びかけたその声から
何もかもがはじまった。「家族の死」という悲しみを命の火種とし、「個の悲しみ」を
「類の幸福」へと変えていった、そのうねりのような16年に体がふるえる。


そして私もその同じ年月、街頭に立ち続けた。そして必死に叫び続けてきた。
「大人達よ。自分のすぐそばにいる子等を抱きしめてほしい。しっかりとしっかりと抱き
しめてほしい。そのぬくもりが必ずやその子の長い人生を計り知れぬ程暖め、生きる力を
生み続けてくれるのだ。」と。
そしてやがて、その子が生きてゆくこの社会に誰もが皆、美しく深い言葉で、
この世の中には「人の情」というものが確かにあるのだ、と言うことを語り届けてほしい、
と叫び続けてきた。語り場で、講座の中で、そして作品の中で。


この二十年、風のように、水のように、光のように、美しく清らかにキラキラと輝いてい
る言葉を必死に求め続けてきた。暖かく深い作品を求め続け、そして生み続けてきた。
そして今、ここに立つ。
大人達よ、人生の途上、一度でよい、ここに立ち寄ってほしい。
「おはなしかご」なる世界には、必ずやあなたが今まで一度も出会ったことのない、
美しい言葉達が、心躍るような、愛らしく楽しい作品達が待っているはずだ。
そんな作品に出逢いながら一人一人の大人が、自らの心の奥底から燃えでてくる命の言葉
を届けてほしい!!と心深く願う。

モルダウ川はチェコの国境の山々を見つめながら流れはじめ
      ボヘミアの穏やかな平原と出会い
           やがて聖ヨハネの急流を越え
               エルベ川となり北海へと注ぐ


2004年のはじめ、誰もの心に小さな時という川が流れはじめる。
ゆっくりとゆったりと流れてゆこう。
あたりの美しいものを見つめながらゆったりと穏やかに、凛と流れてゆこう。
そして、やがて大河になろう。
大きく美しい仕事へとたどりつこう。



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