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「獣道」

獣道(けものみち)という道がある。
整えられた立派な道ではなく、獣達が身の危険を感じた時、藪や繁みの中を通りぬけてゆく人知れぬ道だ。いや、道といえる状態ではなく、いわゆる道なき道だ。

崖を落ちるようにかけおりてゆくこともある。体中棘(いばら)がささり、木の枝で顔をはじかれ、太い根っこにつまずき、何度も転ぶだろう。橋の架かっていない川でも向う岸にゆく為に渡っていかなければならないだろう。
だがそれでもその道をゆくしかない。獣達は生きぬく為に必死に命を賭けてこの道をゆく。
人も道なき道をゆくことがある。
だが、人がこの道をゆく時は身の危険ではなく、「心の危険」を感じた時である。
目の前にある整えられた道をゆけば身の安全は守られるのだが、この道ではないどこかに、 心が命の音をたてて生きてゆける、そんな道があるような気がしてならない・・・だが、どこへゆけばよいのかわからず、岐路に立ち迷い苦しむ人は少なくはない。
心が命の音をたてて生きてゆける道とは?心の危険とは・・・一体何なのか、どこにあるのか・・・
姿形は見えぬが暫(しば)し自他ともの「心」というものを感じてみよう。

(心とは)

生存能力が極めて未熟な状態でこの世に生まれでる人間は、生後直後から「泣く」という唯一の方法で飢えや渇きを知らせ、生存を保とうとする。そして、不必要なものを排泄してゆくのだが、この排泄物の除去も自分の力ではできない。
つまり、他者と関わりを持つことでしか生存は不可能なのである。睡眠という充足せねば生命維持に 不可欠な現象も、他者がその継続を保ってくれなければ実現しないことなのだ。
つまり、不快が生じると知らせる。すると誰かがきてくれて、それを(快)に変えてくれる。そしてその(快)を充足するまで、つまり、充ち足りるまで保ってくれる。
眠りに入ると昏々と目覚めるまで眠らせてくれる。渇きが潤うまで飲み物を飲ませてくれる。その関係は生理的欲求のみではない。人は「心と体」を持って生まれでてくる。
「心」も食する。何を食するのか?
それはぬくもりである。やわらかく温(あたた)かい人肌のぬくもりである。そして、まなざしである。
温かい人肌に充ち足りるまで抱かれ、見上げると愛(いとお)しい思いで見つめてくれるまなざしがそこにある。
そして当然のことだが、「心」も体と同様、不必要なものを排泄する。
排泄とは、不用、又は有害な生成物を体外に出す作用である。
心も然り、不用、又は有害な生成物を心の外に出さねば、心は致死に至る。
だが、肉体の排泄は認められた場所があり、誰も皆、その排泄を妨害されずに堂々と行えるのだが、 心の排泄はなかなか認めてもらうことが困難だ。
淋しさや悲しさ、不安や怯え、疲れや辛さを、幼子であればぐずりや夜泣き、発熱などという現象で 外に出すが、成長とともにそれは様々な姿に変貌してゆく。
それらを「しっかり出せたね!」「全部出てよかったね!」「よく出せたね!」「ここに出しなさい」などと認め、あふれさせてもらえることは少なく、やがて心が瀕死の状態になってゆくことがある。心と体はひとつである。心も体も食し、眠り、そして排泄することを決して忘れてはならない。
だが、それらのすべてが実現するのは自分の生存を心から望み、関わってくれる者があってこそである。
(不快)が生じるとやってきてくれて(快)に変えてくれる!
そして、生じた(快)を充ち足りるまで継続させてくれる!
ああ!それは何という心地良さであろうか。これこそ人と人との関わりの源泉である。
その関わりの中で心は命の音をたててゆくのだ。
そしてやがて、一人一人が固有の内的(ないてき)必然性(ひつぜんせい)によって生きてゆけるようになってゆくのだ。
つまり外からの要請ではなく、自分の心の中から「これをやりたい!」という気持が生まれ、実現に 向かってゆく。それが、生きる喜びというものなのである。

(自己実現とは)

何年か前に津守真氏は、次の様に話してくれた。
「子供がその子の力をいっぱいにだして一日を過ごせるようにすることは、大人の大切な仕事である。今とても気にかかる子がいる。その子はいつも隅の方で小さくなっていて、声も小さく、どんな状況の時にも何かに怯えているような様子で、元気というものが全く感じられない。
なぜそんな風になってしまったかというと、今までに何ども自分の気持から何かを始めようとしたのだが、そのたびに必ず大人の制御がかかり、そのことを実現に向わせることが一切できなかった。そんな体験が積み重なり、いつのまにか自分の内から湧き上がってくる気持は悪いものだと思い込み、自分は悪い人間なのだからできるだけ隅にいて皆の目にふれない方がよいという心理に到ってしまった。
もう一人の子は、たえず気が散り、集中して何かをすることができない。その子はまわりの大人の願望と期待からくる要求があまりに多く、一日のうちに何度も外からの要求と課題に応えねばならず、自分の本当の気持というものに、人生のこんな早期からもうすでに出会えない状態になってしまっている。
子どもが力を出せているという状態というのは、その子の心の底から静かに「何かやりたいなあ!」という気持が生まれ、その気持に従って行動を生(お)こし、そのことを実現してゆくことができる状態のことである。
つまり、自己実現ができていることをいう。どうしたらそういう状態になれるかということを考えてゆくことは、今はとても大切なことだ。それは外からも内からも情報や刺激があまりに多すぎる時代を生きてゆかねばならない子ども達にとって、「自分の本当の気持」というものに出会えるか、
出会えないかは人生を大きく左右してしまうからである。
最も大切なことは、その子のまわりにいる大人達が自分の心の内から「何かをやってゆきたい!」と いう気持を生むことである。
次に大切なことは、子ども達が自分から何かを始めた時は、なるべく声をかけずに(その欲求を安易に中断せずに)やり通させてやること。それには、批判も賞賛もしない。やりたいことをやっている時は、そのことが楽しくてやっているわけだから、それ自体が大きな喜びであり、ほめられたい欲求など生じていない。
自分のやりたいことをやっている時は、その子の全ての力、知能、感情、意志、体力、他の諸能力の 全てを動員して実現に向っている。しかも、生成から終結までを体験するのだ。その上、その体験を 心にしみ込ませてゆける静かな時間を持てた時、それが「体験」という表層ではなく、「経験」という精神の深層(魂)の内的財産となってゆく。つまり、人間としての実に大きな成長がそこに生じるのだ。
しかもそれだけではなく、自分のやりたいことをやっている時は、大きな喜びがその子を満たしているので、そのことによりその子は、人生は生きるに値する喜びがあることを知ってゆく。
それがやがてその子が人生を生きぬいてゆく時に、実に大きな力となることは言うまでもない。そしてそれは、そのままその子のパーソナリティ内部の文化や哲学の重要な基盤となってゆくのだ。その子のやりたいことの中には、その子にとって実に大切なものが含まれているのだ。」

心が音をたてて生きてゆくということが、少しずつわかりかけてきたことと思う。

先日、知人の娘さんに命が授り、喜びの頼りが届いた。その中に次の様なことが書かれていた。
「母になれた娘に、私は多くのことは言いませんでした。たった二つのことだけを伝えました。
〝どんなことでも、赤ちゃんに関わる時は必ず赤ちゃんの目を見て話しかけてからすること〟 そしてもうひとつは、 〝赤ちゃんは自分では何にもできない存在なのだから、何よりも赤ちゃんの気持を最優先すること。
それができない時は必ず「待っていてね」と心の中で声をかけること〟」
私が長々と理屈っぽく書いたことを、この人はたったこれだけの言葉で、しかも娘さんが何をどのようにすればよいのかをとてもよくわかるように伝えている。
この手紙を読んだ時「みごと!」と感嘆したと同時に胸がいっぱいになった。まるで私がこの赤ちゃんであるかのように私の心と体がすっぽりとぬくもりのある人肌の心に抱きしめられたのだ。

(大人の自己実現)

大人にとっても自己実現、つまり自らが望んだことを実現してゆくことは大きな(快)、喜びである。
「やりたいことをやる」「やりたいことをやりたいようにやる」、それはこの世に生まれ、生きてゆく 本当の喜びである。その実現の為には、大人も又すべての力を動員してゆくのだ。
石原文里氏(カウンセラー)は「知と行」の中で次の様に書いている。
「〝やりたいことをやりたいようにやる〟ということは、そのプロセスにおける困難や障害との苦闘をぬきには考えられないし、達成もできない。
〝やりたいことをやりたいようにやることは、容易で軽薄なことである〟と思い違いをしているところには、人間の甘え以外のなにものをもない。」 そうなのだ。自己実現というのは、自分の力で道を切り開いていくことなのだ。獣道をゆくことなのだ。棘あり、崖あり、雨あり、嵐ありなのだ。だがそれでも「心の危険」を感じた猪達は必死に命を賭けてこの道をゆく。
なぜ、命を賭けてまでその道をゆくのか。それは、その道が「個の幸福」と、そしてやがては大きな 「類の幸福」へとつながってゆく道であることを知っているからなのだ。

(先人の猪達)

我等の先人には、その道を突進し、やがてみごとな街道と成しえた勇猛な猪が何頭もいる!
戦国乱世の時代に、政治と芸術の狭間を生きた一人の男がいる。
「千利休」というその名は誰もが知っていることだろう。
利休は豪華絢爛な茶道の世界を、名誉も身分も財産も持ち込めぬ、「侘(わび)茶」という真実の人の営みの 芸術へと、まさに命を賭けてその道を切り開いた一頭の猪である。 「利休」の名は、「名誉も利も共に休す」からきたものである。
「女、三界に家なし」と言われた時代がある。女はこの世にいるかぎり、安住する家もなく、ものを言うこともできない・・・と言われていた時代に大声で「君死にたもうことなかれ」と謳(うた)いあげた一頭の猪がいる。与謝野晶子である。
「花鳥風月」を歌い、心の慰みものでしかなかったこの世界に、魂の叫びという一本の道を大胆不敵に切り開き、しかもその道で夫と十一人の子を養うという豪快なその走りには、ただ、ただ体が奮(ふる)える。
獣道の先には必ず真実がある。岐路に立ち、どちらの道が「虚」で、どちらの道が「真実」であるのか、 心の目で見えるか否かが感性というものである。
だが「真実」とわかっていても、その道を選べば命をおとし、「虚」とわかっていてもその道をゆけば身の安全は守れるという時、人はどちらの道を選ぶのだろうか。
異国にまさに命を賭けて「真実の道」を選んだ勇猛な猪がいる。
「地球は動いている」と言ったガリレオである。「地球が自転している」と言った者が命をおとさねばならぬ時代があった。そのことを決して忘れてはならない。
誰もが全く気づいていない真実をまっ先に告げる者は、いつの時代にも命がけなのである。
今から三十年以上前に「学校に行きたくない」と言った者がどのような状況下におかれたかは、我等の想像をはるかに超すまさに厳状(厳しい状況)であったことだろう。
今では国も新聞も当たり前のように「登校拒否」という言語を発し、書く。みごとに住民票を獲得したわけである。
まもなく、ある中学校が開校する。この学校は「35日以上学校を休学した者」しか入学ができないという新しい中学校だ。
三十数年前、奥地桂子親子が死にもの狂いで切り開いてくれた一本の道が、今、確かな道となり、多くの人が歩ける道となっていったのだ。彼等の筆舌に尽くしがたい苦闘にただただ頭が下がる。
この道がなお一層踏みかためられ、やがて大道となり、誰もが皆
〝丘を越えゆこうよ〜 口笛吹きつつ〜〟 と まさに口笛吹きつつ、軽やかに時代に問いかけられる道となることを心から願う。

(小さな道)

獣道は大きな道ばかりではない。名も知らぬ小さな路地にも思いをこめた者達がいる。先日、ある保育園の園長先生から、こんな話を聞いた。
「長い年月の保育の仕事の中で、今でも心にのこる光景がある。
ある日、一人の若い保育士が目を輝かせて、〝今日、M子ちゃんに感動しちゃったんです〟と言って話だした。
その日、その保育士が赤ちゃんを抱いて授乳している時に、1才児のM子ちゃんがやってきた。
M子ちゃんは新しい保母に慣れないで、この保育士と過ごしたくてやってきたのだが、授乳中だったのでM子ちゃんを抱っこしてあげることができなかった。するとM子ちゃんは、しばらくそこに立っていたが、そのうちしゃがむと自分の足を保育士の足の上にちょっとのせてから「これは?」と言って赤ちゃんの足を指した。そこで「これは赤ちゃんのあんよ」と言うと、もう片方の赤ちゃんの足を指して「これは?」と聞くから、又「赤ちゃんのあんよ」と言うと、今度は保育士の足を指して「これは?」という。「先生のあんよ」と言うと、又もう片方も指す。「先生のあんよ」と言うと、今度は自分の足を指して「これは?」と言う。「M子ちゃんのあんよ」「これは?」「M子ちゃんのあんよ」。すると又赤ちゃんの足を指して「これは?」「赤ちゃんのあんよ」・・・グルグル グルグル グルグル とうとう赤ちゃんがミルクを飲み終るまで続いたという。赤ちゃんがミルクを飲むのは少なくても20分はかかる。その間中ずっと「これは?」「○○ちゃんのあんよ」とくりかえしたそうだ。〟 その保育士は以前にも実に楽しそうにこんなことを話したことがある。〝今日Tくん(1才児)が本を持ってきて、大きな木に沢山の小鳥がとまっている絵を指して、 「これは?」って聞くから「ピッピ」って言うと、又次の鳥を指して「これは?」って聞くので 「ピッピ」って言うと、又別の鳥を指して「これは?」って聞くので「ピッピ」っと言っている うちにとうとう全部聞かれて全部応えちゃいました!!〟
この話を聞いて、私は「すごい!!」と唸ってしまった。
1才児がいかにゆったりと悠々と、そして心ゆくまで自分の世界を生きているかということにも感動したが、それ以上に幼子の清らかなやわらかな世界を誠実に温かく受けとめ、心から供に過ごしてくれた保育士がいたということに心が奮(ふる)えた。
充されたその子達は、きっとその日一日中楽しく、安心してその保育士のそばであそんだことだろう。
あの時のM子ちゃんも、T君も今はもう17歳。何ひとつこのことは覚えていないだろう。あの時間は、あなたたちの心中深い沈黙の海の底に沈んでいる。
だが、1才の時のあなたたちを心から愛し、大切にし、幼い心の大きな宇宙に感動して、共に生きた保育士がいたこと、それはあなたたちの確かな心の宝石となって生涯心の奥で輝き続けることだろう」
私はこの話を聞いて、言葉がでてこない程胸がいっぱいになり、涙がこぼれてとまらなかった。
なぜなら私は自分の子に、この保育士がしてあげたようなことができなかったのだ。
私のところにやってきてくれた命くんもあの頃、どんなにかMちゃんやT君のようにゆったりとあそんでもらいたいと思ったことだろう。
知人の手紙に書いてあったことすらままならなかったのだ。
大家族の自営業の嫁という状況下であったからだと言ってしまえばすむことかと言うとそうではない。
こんなに小さな幼子が自分の力ではどうすることもできない現実を前に、自分の気持を諦(あきら)めるという 形で放棄せず、それでいて現実を壊(こわ)しもせず(赤ちゃんの授乳を妨害もせず)、やわらかくやわらかく、自分の気持を実現したではないか!
一羽一羽、その子にとっては違う鳥である。その鳥の名を、声を、全部聞きたいという気持を、ていねいにていねいに、実現していったではないか。
私はじっ〜と目を閉じた。すると・・・遠い昔のあの子の声が聞こえてきた。
「ママ、これは誰のあんよ?」「ママのあんよよ」「これは?」「かずくんのあんよよ」「これは?」
「この鳥は?」「ピッピ」「この鳥は?」「ピッピ」・・・・・
こんなに、こんなにおそくなってしまったが私は今やっと、あの時の小さな命を、心の中でしっかりと 抱きしめることができていた。

どこかで誰かが温かく包まれることが、どこかで誰かが自分の気持を大切にしてもらえることが、 暖かい社会の風となって遠くまで、遠くまで、時の彼方までも届いてゆくのだ!!
心温まる話というものが、どれ程の生きる力となるかを改めてはっきりと知った。

(もう一頭の猪)

ある日、リビングに入ろうとすると、夫の声が聞こえてきた。誰かと電話で話をしていたのだが、突然私の名が話に出てきたので、扉の前で足を止めた。夫は思いもかけずこんなことを言っていた。
「俺は今まで石橋を叩いても渡らない男と言われ、それを誇りに思っていた。だが、あいつ(妻)を見ていると、この頃俺は人生で何を守ってきたのだろうと疑問に思うようになってきた。あいつは石橋どころか、橋など全くなくても進んでゆく。そして崖の下へ真っ逆さまに落ちて、そこから傷だらけになって這い上がってくる。だが、「ここに橋を架けなかったのは誰だ」とは決して言わない。
言う言葉はいつも「ここに橋がないとだめだ。みんなが落ちてしまう。」そう言うなり、必死になって橋をつくりはじめる。
俺は物づくりとして何人もの者を見てきたが、あいつ程不器用な者をみたことがない。
家庭科の先生も図画工作の先生も〝0点より下だ〟と言った、と親に聞いたことがある。 入学金さえ納めれば誰でも入れる洋裁学校に入学したが、校長が入学金を倍返すからやめてほしい、と言った話も聞いたことがある。その話が嘘ではないことはよくわかる。そんなあいつが、自分の胸の中にある人形を生みだしたくて、どんなことをしているか、俺は具(つぶさ)に見てきた。
あいつの描いた絵は、孫の描いた絵よりも下手だ。けれども、あいつの胸の中には子ども達が喜ぶ絵がいっぱい詰まっている。その絵を生みだしたくて何人もの画家に必死に頭を下げ、FAXから火が出るのではないかと思う程、必死に自分の描いてもらいたい絵を伝えている。
今、あいつの仕事をしてくれている画家は、多分一人か二人ぐらいだろう。彼女等は大したものだと思う。
「自分の心中を絵で表現する」芸術家でありながらなおかつ、神に絵筆をもらってはこないが、胸の中に絵がいっぱいある者の「心の絵」を生み出せる職人でもあるわけだから。 俺は物づくり、つまり芸術家と名のる者はすべて「芸術家」であり「職人」でなくてはいけないような気がする。
時々、歓声をあげて「やった!!とうとうできた!!」と何枚ものFAXをかかえて叫んでいるので、下絵をちょっと見てみると、刻々と実におもしろい世界が生まれてゆくプロセスがわかる。作曲家と演奏家のような関係がそこに生まれているのだろう。
今描いてくれている画家は「自分では持っていなかった絵筆を一本もらったようだ」と言っているそうだが、あいつの仕事をしてくれている人は大したものだと思う。
今、あいつが架けた橋を一体、何人の人達が渡りはじめたかと思うと頭が下がる。しかも、自分がいなくなった後もその道を皆がしっかりと歩けるようにと、必死に社会の文化費を動かそうとしている。
後進の人達が確かな仕事として社会から報いられるようにと、心底願って必死に動いている。自分は一銭の収入にもならないので、いつも俺に小さくなって「すみません」「すみません」と言いながら、水面下であれ程の橋を架けてしまうのだから、俺は一体何を後生大事に守ってきたのだろうかと思うよ。」
私は扉の前で動けなかった。
ああ、私も又、一頭の猪であったのだ。気付く余裕すらなく、夢中で走っていたのだろう。と思った 瞬間、その猪を思いっきり走らせてくれていた、姿なき一人の応援者がいたことに気がついた。
私は扉の前でただただ深く頭を下げた。

(本物のロマンティスト)

「一〇〇〇の風、一〇〇〇のチェロ」という本の中にこんな一節がある。
「グレイ(犬)を失くした僕に父さんが買ってくれたのは新しい犬ではなかった。〝チェロ〟だった。」
その時からこの子は、音を奏でる世界と出会いやがて自分の心の奥深くの、外側の技術を超えた
トネマ(言語以前の感情表現)に出会ってゆき、実に美しい音楽を奏でてゆく。
1000人のチェロコンサートの中で彼は叫ぶ。
「僕の弾くチェロの音が皆の明日の希望となれ!」誰もが皆、心にこの「チェロ」を持ってほしい。小さくてもよい、確かなひとつの〝チェロ〟を 心の内に持ってほしい!そのことを本気で願い、小さい橋だが懸命に架け続けてきた。黒沼ユリ子(ヴァイオリニスト)は言う。「なぜロマンティスト(夢と理想を追い続ける人)であってはいけないのか。
ロマンティスト・・・それは暖房のきいた部屋のソファーにねそべって恋愛や星の話をするような受身な姿などではない。人間の真の幸福を命がけで実現しようと懸命に走る人の生き方、そのものの呼び名である。
人々の精神の代弁者である芸術家のすべてが、本物のロマンティストと成りえた時、
文化は単なる消極的な「慰め品」や「虚飾の飾り物」ではなく、実に積極的な力を持つのだ。

政治力だけでは変革しえない、「人間の根源的な平和」というものを実現してゆけるのだ。文化とは、人を幸せに向かわせてゆく広く大きな力である。」夜が明けると今日も又、世界中の音楽家が音を奏で、画家は絵を生み、作家は言葉を生み、
語り手は語りはじめる。

その一人一人が本物のロマンティストであることを心より願う。

(走れ猪)

猪よ走れ、走れ、走れ 一人一人の内なる猪よ走れ獣道を本気で走れ! そして人生街道を共に行進しようではないか!
我も又、我が獣道をひた走る
美しさを、強さを、希望を、ぬくもりを語りながら、 懸命にひた走る
いざ来たれ、わが獣道へ

参考文献他

・津守 真(お茶の水大学名誉教授 前愛育養護学校長)
・故石原文里(カウンセラー)
・「知と行」(千葉カウンセリング研究会)
・「一〇〇〇の風、一〇〇〇のチェロ」(偕成社絵本)
・奥地 桂子(東京シューレー主宰)

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「獣道をゆく」をもちまして年頭のメッセージ最終号とさせていただきます。

万感の思いを語り道へ注ぎ、走り続けたいと思います。

何年もの間、心をこめて読んで下さったこと、心より感謝致します。

 

2007年1月

大竹 麗子

 

 

 



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